川崎病後遺症その後の人生

川崎病という病名がまだない頃、川崎病にかかり後遺症として心臓に冠動脈障害を持つ。何も知らないまま大人になり、人生後半戦に入っても健康な日々を過ごしてきたが…。還暦を目前に始まった川崎病との付き合い方とは。

「心房」「心室」「細動」「頻拍」。 わたしの病名は何ですか? <心室頻拍②>

最大脈拍数が200近くになりHCUに運ばれた後、ワソラン点滴が効いたらしく、頻脈は治まりすっかりラクになった。けれども家に帰すわけにはいかないと、即刻入院することになった。「あら、帰れないんですか」と、重症患者としての緊迫感のなさを露呈してしまい、医師から「もうちょっとでAED自動体外式除細動器)が要るところだったんですよ」と諭すように告げられる。

 

心電図モニターにつなげられ24時間監視体制のもとで絶対安静。

意識を失ったわけではないので本人としてはあまりピンときていないのだが、「致死性」の不整脈だった。一夜明けて医師から状況を説明され、ふんふんとわかったつもりが、不整脈に対する基本的な知識がないのと年齢のせいだか、用語が覚えられない。携帯OKの病室に移動したこともあり、スマホで調べなおしながら確かめてみる。

 

先生に言われたのは「心房細動」だっけ、「心室細動」だっけ…、(心室細動なら私は死んでいる?)。これではいかんと、看護師さんをつかまえて「私の病名は何ですか?」とストレートに尋ねた。

 

心室頻拍ですよ」。
この時以来、入院中のベッドの上でもメモが取れるように、いつも手帳を用意しておくようにしている。

 

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